固定電話に電話してた。お父さん出ませんように!って願いながら。

こんにちは(^^)
日本一自由な貿易コンシェルジュの中本です。

今日は大阪でコンサル生の勉強会をして、
そのまま広島に移動する予定です。

見事に新幹線の予約を忘れていて、
人が湧きまくっている東京駅から
新幹線にのりました!

いつもは、予約担当のスタッフさんに
お願いしておくのですが、
完全に忘れてました、、危なかった、、

さて、平成最後の日という事で、
僕もなんとなく平成を振り返って
みようと思います。

僕は昭和48年生まれで、今46歳です。
謂わゆる第二次ベビーブーム世代というやつです。

我々が高齢者になる、30年後とかは大変ですよ〜
なんせ数が多いですからねww

僕が中学、高校の頃は40人のクラスが
11クラスとか12クラスありました。

1学年でざっと500人弱ですよね。
3学年全体で朝礼とかすると、マンモス校だと
1500人です笑
人多杉ww

そんな僕が16歳の時の冬。
1989年1月7日午前6時33分、
昭和天皇のご容体が急変し、
ご逝去されました。

僕が高校2年生のときです。

あの日のことは鮮明に覚えてますが、
朝起きるとテレビが、どこの局もなんか
しんみりした、色のない画像で
昭和天皇崩御のニュースを伝えていました。

その日も普通に高校に向かったんですよね。
僕は家から40分くらいかけて、
広島市内の高校に自転車で通学してました。

当時、仲の良かった3、4人でいつもと
同じように学校に向かいました。

そしたらね、今思い返すと「日本人てすごいなー」
と思うのですが、どこの店も百貨店もスーパーも
カラフルな物は全部収めて基本、白と黒だけ。

半旗を掲げて広島全体が、まさに鎮痛な雰囲気に
包まれていました。

あれね、事前に告知されてるわけじゃないのに、
なんでその日に、瞬時に全店舗があそこまで対応できるのか?
いや、やっぱどっかから情報が流れてて
「そろそろ危ないぞ、準備しとけ」
みたいな告知が来てたのかなあ。

まあいずれにしても、日本人の対応力というか、
即応能力は本当にすごいと思います。

さて、当時1989年といえば、まさに
バブル景気の絶頂期でした。

会社の経費はとにかくいくらでも使いたい放題。
六本木では札束を右手にタクシーを
止めるとか、本当にそんな世界だったようです。

僕は、未だに覚えていますが、
広島の田舎の高校生ながら、乱痴気騒ぎをしてる
大人たちの映像をテレビで見ながら
「こんな世の中はいつまでも続かないな」と
どこか冷めた目で見ていました。

まあ案の定、バブルは崩壊し僕が新卒で就職活動を
する時には、就職氷河期となりました。
受験する時はいつも、史上最高の受験人数。
就職する時は就職氷河期。
老後も年金制度は破綻して、おそらくもらえません。

産まれながらにツイてない
世代っちゃあ世代ですよね。

でもですね、ツイテナイ世代でも今は
インターネットがあるから可能性は無限です。
アイデアとやる気と根気があれば、
誰でも食うのには困らない時代が、
令和の時代ですね。

平成を振り返って、僕が大きな変化だなあと
感じるのはやはり「インターネット」の普及と
「携帯電話」の登場です。

特にスマホ。

僕らが高校生の頃は、
携帯もネットも無かったですからね。
彼女に電話する時は、お父さんが出るんじゃ
ないかとドキドキしながら固定電話に電話
かけたもんです(笑)

普段は連絡をとる手段がないから、
待ち合わせ場所と時間を決めたら、
ひたすら現れるのを待つみたいな。。
どんだけ、効率悪いんだww

今はスマホがあれば、アメリカ大陸を
バイクで横断しながら生配信もできちゃいます。
日本の商品をebayやAmazonを通じて
世界中に販売できるようになりました。

物凄い無限の可能性がある時代になりました。

ということを平成最後の日に思いつくまま
つらつら書いてみました。

自分がおじいちゃんになった時に
このエントリー読み返したら、どう思うかな。

最後に30年多忙な公務を務められた、
天皇皇后両陛下には、ゆっくり休まれて
これからは、色々まわりを気にせずに
お二人で仲良く、お過ごしいただきたいです^^

今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP